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フランス北部の町アラスでたどるナポレオンの軌跡

2018年06月04日

©Château de Versailles, Didier Saulnier

フランス史に残る人物といえば、必ずその名が挙がるであろうと思われる一人が、ナポレオン・ボナパルトです。革命後のフランスに皇帝制を敷き、自ら就任した天才的な戦略家でした。そのナポレオンの50余年の生涯と、彼の生きた時代を振り返る「ナポレオン、神話のイメージ(Napoléon, Images de la légende)」展が、2018年11月4日(日)まで、フランス北部の町アラスで開催中です。

意外や意外、ナポレオン関連の美術品を最も蔵しているのは?

アラス美術館ナポレオン展ポスター

「ナポレオン、神話のイメージ(Napoléon, Images de la légende)」展は、アラス市が、2011年にヴェルサイユ宮殿と結んだ10年のパートナーシップ提携がもたらす成果のひとつでもあります。このエキスポでは、160を超える絵画、彫刻、美術工芸品、家具などを見ることができますが、そのうち約100点は、ヴェルサイユ宮殿とトリアノン宮殿から運ばれたものです。

意外なことに、フランス帝政期の美術品を最も多く蔵しているのは、ヴェルサイユ宮殿なのです。これは、ナポレオン本人がヴェルサイユ宮殿、トリアノン宮殿の修復に携わったことのほか、ルイ・フィリップ国王が帝政期に関する歴史的資料をヴェルサイユに集めたことが理由です。

コルシカ島生まれ

©Julien Mellin – Ville d’Arras

「ナポレオン、神話のイメージ(Napoléon, Images de la légende)」展では、まず、ナポレオンの両親にフォーカスを当てます。父シャルルと、母マリア・レティツィアが住んでいたのは、コルシカ島でした。コルシカ島は、長くジョノバの統治を受けていましたが、1768年にヴェルサイユ条約によりフランス領となります。コルシカ島のアジャクシオにナポレオンが生まれる前年のことでした。

そのため、ナポレオンは教育をフランスで受けることになります。

フランス革命期

中央にあるのがアントワヌ=ジャン・グロ, 1796,『アルコレ橋のボナパルト』©Julien Mellin – Ville d’Arras

ナポレオンについて語ろうと思えば、フランス革命は避けて通れない道で、このエキスポでも、革命時期にナポレオンが活躍した数々の戦いや遠征をテーマにした絵画が、時間軸に沿って、史実と照らし合わせながら、展示されています。

例を挙げるなら、1796年から翌97年にかけての最初のイタリア遠征。ナポレオンの活躍は目覚ましく、今のイタリア北部を制覇し、オーストリア兵を、ウィーン近くまで追いやりました。

このころの肖像画で有名なのがアントワヌ=ジャン・グロが描いた『アルコレ橋のボナパルト』です。どうしてもナポレオンの肖像画を描きたかったアントワヌ=ジャン・グロは、ミラノに赴くナポレオンの妻ジョセフィーヌに同行し、セルベローニ宮殿でナポレオンと会見、デッサンをとることができたといいます。

次第に高くなるナポレオンの名声に危惧を抱いた総裁政府は、続いて1798年から1801年まで、ナポレオンをエジプト遠征に任命し、フランスから遠ざけます。しかし、ここでもボナパルトは輝かしい戦功をあげることになります。ちなみに、この遠征は、フランスでエジプト文明の研究が盛んになるきっかけにもなりました。

執政政府時代

ルイ=フランソワ・ルジュンヌ『マレンゴの戦い1800年6月14日』写真©RMN-Grand Palais (château de Versailles) / Franck Raux

1799年、ブリュメール18日のクーデタで総裁政府を倒したナポレオンは、三人の執政による執政政府を打ち立てました。この体制は、1804年まで5年間続くことになります。第一執政に就任したナポレオンは二回目のイタリア遠征に赴きます。

有名な雪の残るアルプス越えを決行してのけたのは、この時のことです。このシーンは、のちにダヴィッドが描き、有名なナポレオン像として世界に知られることになりました。

ジャック=ルイ・ダヴィッド(1800)『ベルナール峠からアルプスを越えるボナパルト』写真©RMN-GP (château de Versailles) / Gérard Blot

第一帝政期

アドルフ=ユージェヌ=ガブリエル・ローン 『ナポレオン一世ワグラムの野営、1809年7月5日~6日』写真©RMN-GP (château de Versailles) / Gérard Blot

1804年ボナパルトは皇帝となり、ここに10年続くことになる第一帝政が始まります。ダヴィッドによるかの有名なナポレオン一世の戴冠式の大作は、残念ながらアラスには展示されていませんが、戴冠式に呼ばれたローマ教皇ピウス7世の像や、式典用の衣装を着たナポレオン一世、ジョゼフィーヌ皇后、また腹心の部下たちの肖像画が並びます。

また、第一帝政期の数々の勝利をを描いた絵画も多く展示されます。そのうち、ワグラムの野営を描いたものは、戦いに必要な指令を出したのち、椅子に座ったまま束の間の休息をとるナポレオンを、賞賛と敬愛の表情で眺める部下らの表情が印象的な作品です。

ボナパルト家の人々と、パリ社交界

ルイ・デュシ(1810)『サン・クルー城のテラスにて、ナポレオン一世と甥たち』©RMN-GP (château de Versailles) / © Franck Raux

ナポレオンは、自分が征服したヨーロッパ各国の統治に、多くの親族を指名しました。兄はナポリ王、弟はオランダ王といった具合です。

また、ナポレオンが開いた宮廷の影響もあり、パリは知識人の集まる芸術の町へと姿を変えていきます。このセクションでは、当時描かれた、知識人や宮廷に出入りする人々の肖像画が多く並びます。

Jacob-Frères,チュイルリー宮殿第一執政の部屋のソムノ©château de Versailles (dist. RMNGrand Palais) / Christophe Fouin

また、ナポレオンの過ごした部屋を再現するような家具や装飾品の展示も見られます。

島流しの果ての死

ヴィンチェンツォ・ヴェラの彫刻、セントヘレナ島でのナポレオン一世最期の様子©Château de Versailles, Didier Saulnier

しかし、栄華は長くは続きません。あれほど勝利の女神に愛されたナポレオンも、スペイン戦争やロシア遠征で苦戦を味わうこととなります。

それが原因でパリではクーデタが発生。ヨーロッパ各国は一斉に反ナポレオン態勢を取ります。そうして、皇帝となって10年後、ナポレオンは失脚しエルバ島へ追放されます。

エルバ島はイタリア沿岸にある島ですが、ナポレオンはあっという間にそこから脱出。再び返り咲いて100日天下を飾ります。しかし、彼の運はすでに尽きていたのか、ワーテルローの戦いに敗れ、再び失脚。今度は、おいそれとは戻って来られない僻地、セントヘレナ島へ流され、1821年、五十二に満たないまま、孤独な死を迎えることになります。

ユージェヌ・イザベ『軍艦ラベルプールに引き上げられるナポレオン一世の棺1840年10月15日』写真©RMN-GP (château de Versailles) /Christophe Fouin

ところが、その死によっても、すべてが終わらないのがナポレオンのナポレオンたるところ。死後20年も経ってから、政治的理由により、遺灰がパリに移されます。海軍が遠方から粛々と運んできた棺をパリで埋葬する式典には、賛否両論があったにもかかわらず、実に多くの人々が集まったと、文豪ヴィクトル・ユーゴも記しています。

今も、ナポレオン・ボナパルトの棺はパリ・アンヴァリッドに安置されています。

■「ナポレオン、神話のイメージ(Napoléon, Images de la légende)」展
・会場:アラス美術館(Muée des beaux-arts d’Arras)
・住所:Abbaye Saint-Vaast, 22, rue Paul Doumer, 62000 Arras, France
・開催期間:~2018年11月4日(日)
・URL:https://www.arras.fr/fr/mes-loisirs/culture/musee-des-beaux-arts

いかがでしたか。「ナポレオン、神話のイメージ(Napoléon, Images de la légende)」展を紹介しました。フランス北部の町アラスで、天才的な戦略家の足跡を辿ってみませんか。

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