シェール川に建つ世界遺産「シュノンソー城」の歩き方

公開日 : 2020年06月08日
最終更新 :
ディアヌの庭園から見たシュノンソー城
ディアヌの庭園から見たシュノンソー城

シュノンソー城は、ロワール川の支流シェール川に浮かぶように立つ白亜の城です。ロワールには優美な姿の古城が数多く点在していますが、その中でも常に人気の訪問先となっているのがこのシュノンソー城です。なぜ美しいのか? それには理由がありました。

【はじめに】2020年6月8日現在、観光目的の海外渡航は難しい状況です。『地球の歩き方ニュース&レポート』では、昨今の世界情勢をふまえ観光地情報の発信を抑制してきました。しかし、2020年5月31日で「期間限定の電子書籍読み放題サービス」が終了したこともあり「近い将来に旅したい場所」として、世界の現地観光記事の発信を2020年6月以降、再開することにいたしました。

世界各地のまだ行ったことのない、あるいは再び訪れたい旅先の詳しい情報を入手して準備をととのえ、新型コロナウイルス禍収束後は、ぜひ旅にお出かけください。安心して旅に出られる日が一日も早く来ることを、心より願っています。

シュノンソー城について

シュノンソー城について
敷地入口から真っ直ぐに歩くと城館の正面に

シュノンソー城があるロワール地方は「フランスの庭」と呼ばれています。フランス最長の川であるロワール川が大西洋まで流れ、広大な平野に森や川、丘などが広がる風光明媚な場所です。シュノンソー城は、そのロワール川南方の支流、シェール川沿いに建っています。城が建てられた16世紀から19世紀に至るまで、城主が代々女性だったことから「6人の女の城」とも呼ばれています。

シュノンソー城が多くの人々を惹きつける理由は白亜の建物に青の屋根をかぶり、シェール川をまたいで建つその優美な姿にあります。城館の前にはいくつかの美しい庭園が広がります。シュノンソー城は「シュリー・シュル・ロワールとシャロンヌ間のロワール渓谷」として登録された世界遺産に含まれています。

シュノンソー駅
シュノンソー駅

シュノンソー城は、ロワール古城観光の拠点となる町トゥールからも近く、パリからのアクセスが良いです。白の前には鉄道TERのシュノンソー駅があり、レンタカーやツアーに頼らずとも比較的簡単に訪れることができます。

シュノンソー城の歴史

シュノンソー城の歴史
入口から城までは並木道が続いている。

シュノンソー城の歴史は16世紀まで遡れます。最初の女性城主が、当時フランス国王フランソワ1世の財政長官だったトマ・ボイエの妻カトリーヌ・ブリソネです。カトリーヌ・ブリソネはベネチアの宮殿の図面を元に、元からあったマルク家の城館と水車を取り壊し、前庭にある塔のみ残してシュノンソー城をルネッサンス様式に作り変えました。

次に城主となったのが、フランス国王アンリ2世の愛妾だったディアヌ・ド・ポワティエです。ディアヌ・ド・ポワティエは1547年にシュノンソー城を譲り受け、城の造園工事を行い、シェール川に橋を架けました。

城館と塔
城館と塔

3代目の城主がアンリ2世の正妻カトリーヌ・ド・メディシスです。アンリ2世が亡くなり未亡人となったカトリーヌ・ド・メディシスは、前の城主だったディアヌ・ド・ポワティエをシュノンソー城から追い出しました。城の改築も行い、橋の上に2階構造のギャラリーを建設し、庭園を整えました。当時カトリーヌ・ド・メディシスはフランス国王の摂政の立場でした。カトリーヌ・ド・メディシスは、館内の「緑の書斎」で政治を取り仕切ったそうです。

次にシュノンソー城の主人となったのが、アンリ3世の妻だったルイーズ・ド・ロレーヌです。1589年にアンリ3世が亡くなった後は、ルイーズ・ド・ロレーヌはシュノンソー城の2階(日本式3階)にある居室に引きこもり、余生を過ごしました。

シェール川に架かるギャラリー
シェール川に架かるギャラリー

5人目からは、王族以外の人物が入居します。当時の知識人であるルイーズ・デュパンです。ルイーズ・デュパンは城を維持していくとともに、城内でモンテスキューやヴォルテール、ルソーといった作家や詩人、科学者、哲学者を招いた知識人のサロンを開きました。フランス革命時の混乱からも城を守りました。

つづく城主が資産家のマルグリット・ペルーズです。マルグリット・ペルーズは、ディアーヌ・ド・ポワティエ時代の姿を復元するためにシュノンソー城を改築します。しかし、マルグリット・ベルーズ自身が政争に破れて破産。その後、城の所有者は転々としました。

その後、再び女性が城主となる機会がやって来ます。シモーヌ・ムニエです。シモーヌ・ムニエは第一次世界大戦の時期においては、川に架かる城のギャラリー部分を自費で病院に改築して提供し、自身も看護師長として働きました。
第二次世界大戦時には、ドイツ軍に抵抗するレジスタンスの活動場所としてシュノンソー城は使われました。シェール川を挟んで北側がドイツの占領地域、南側が当時のヴィシー政権が治めるフランスだったため、川にかかるギャラリー部分南側の扉を使うことで大勢の人を南へ逃しました。

シュノンソー城内部の見どころ

シュノンソー城内部の見どころ
建物の正面扉

城館に入って最初に通るのが護衛兵の間です。ここには、16世紀に織られた巨大なフランドルのタペストリーがかかっています。城での生活や結婚のプロポーズ、狩りの場面が描かれています。

護衛兵の間の隣にあるのが礼拝堂です。フランス革命のときに非キリスト教化運動が起き、シュノンソー城の礼拝堂も破壊の危機に瀕しました。しかし、当時の城主、ルイーズ・デュパンが薪の貯蔵庫として宗教性を隠し、難を逃れました。ステンドグラスは第二次世界大戦中の1944年に爆撃により破壊され、戦後の1954年にガラス工芸家のマックス・アングランの作品がはめ込まれました。

礼拝堂のステンドグラス
礼拝堂のステンドグラス

その先にあるのが、ディアヌ・ド・ポワティエの部屋です。ここは6人目の女城主マルグリット・ペルーズによって復元されたものです。暖炉の上にはディアヌ・ド・ポワティエを追い出したカトリーヌ・ド・メディシスの肖像画が掛けられています。緑の書斎から奥に続く図書室は、カトリーヌ・ド・メディシスの仕事机が置かれていました。窓からは明かりが差し込み、シェール川やディアヌの庭園を見渡せます。

ディアヌ・ド・ポワティエの部屋の先に行くと、シェール川に架かるギャラリーに出ます。カトリーヌ・ド・メディシスはフィリベール・ド・ロルムに命じて設計させ、完成後は舞踏会の場所として使われました。

ディアヌ・ド・ポワティエの部屋
ディアヌ・ド・ポワティエの部屋

フランソワ1世のサロンは、ルネッサンス様式で彩られています。室内にある家具類は15世紀のフランスや16世紀のイタリアのものです。ルイ14世のサロンには、ナポレオン・ボナパルトが兄のジョゼフ・ボナパルトから購入したルーベンスの絵画『幼いキリストとバプステスマのヨハネ』が飾られています。また、1階(日本式2階)にある5人の王妃の居室には、同じくルーベンスの『東方の三博士の訪問』があります。これはスペイン王から買ったものです。

同じく1階(日本式2階)のカトリーヌ・メディシスの居室には、16世紀のフランドル・タペストリーが残されています。さらにギャラリーの1階部分は、これまで非公開だった芸術作品や家具が展示されています。

ルーベンス『幼いキリストとバプステスマのヨハネ』
ルーベンス『幼いキリストとバプステスマのヨハネ』

2階(日本式3階)には、ルイーズ・ド・ロレーヌの居室があります。夫であったアンリ3世が亡くなった後はルイーズ・ド・ロレーヌは城に引きこもり、作法に則り白い服を身につけて暮したといいます。

ルイーズ・ド・ロレーヌの居室
ルイーズ・ド・ロレーヌの居室

3つの庭園

3つの庭園
ディアヌの庭園

シュノンソー城の敷地内はいくつかの庭園で構成されています。

そのうちのひとつが、敷地の入口と城館をつなぐ道を挟んで東側にあるディアヌの庭園です。その名の通り、ディアヌ・ド・ポワティエにより造園されました。設計はヴォ・ル・ヴィコント城の庭園などもデザインしたアシール・デュシェーヌ。花壇の構造などはディアヌ・ド・ポワティエの時代から変わっていません。中央には造営当時の噴水が再現されています。

カトリーヌの庭園
カトリーヌの庭園

敷地を城館まで貫く西側にあるのが、カトリーヌ・ド・メディシスによるカトリーヌの庭園です。広さはディアヌの庭園の約半分。円形の池を中心に5つの芝生の庭から構成されています。シェール川沿いの遊歩道からは、シェール川をまたぐ城館の西側ファサードがきれいに見えます。

カトリーヌの庭園の北側には、緑の庭園と呼ばれる1825年に造園された庭園もあります。ここはオレンジやレモンの木を冬の退避させておくために作られたもので、現在はレストランとサロン・ド・テになっています。アンリ2世にイタリアから嫁いだカトリーヌ・ド・メディシスは、イタリアから多くの料理人と食器類をフランスにもたらし、フランス料理に大きな影響を与えました。オランジュリーのレストランでは、美しい装飾の中で、しっかりとしたフランス料理を食べることができます。

オランジュリーの建物内
オランジュリーの建物内

カトリーヌ・ド・メディシスは、城の敷地内にイタリア式の迷路園も造りました。2000本のイチイが植えられ、中央には迷路全体が見渡せるように小屋が建てられています。

シュノンソー城へのアクセス

シュノンソー城へのアクセス
シュノンソー駅に止まる列車

シュノンソー城へのアクセス方法です。パリ・リヨン駅から高速列車TGVでトゥール近郊のサン・ピエール・デ・コール駅まで行き、そこからTERに乗り換えてシュノンソー駅で下車。パリ・リヨン駅からサン・ピエール・デ・コール駅までは約1時間〜1時間30分、サン・ピエール・デ・コール駅(または1駅先のトゥール駅)からシュノンソー駅までは約30分です。

シュノンソー駅から城までは400mと歩いてすぐです。線路を挟んで城と反対側にはシュノンソーの集落があり、いくつかのホテルやレストランが建っています。

車の場合は、パリから約3時間。城の駐車場は城の敷地入口前に広がっており、料金は無料です。駐車場内には電気自動車の充電スタンドもあります。シュノンソー城入口のショップは入場無料です。

シュノンソー城の基本情報

シュノンソー城の基本情報
幾何学模様が美しいディアヌの庭園

・住所: Château de Chenonceau 37150
・開館時間: 9:30〜17:30(1月1日〜1月5日、4月4日〜5月29日、9月28日〜11月1日、12月19日〜12月31日)、9:30〜16:30(1月6日〜4月3日、11月2日〜12月18日)、9:00〜18:00(5月30日〜7月3日)、9:00〜19:30(7月4日〜8月21日)、9:00〜18:30(8月22日〜9月27日)
・休館日: 無休
・入場料: €15
・URL: https://www.chenonceau.com/

シュノンソー城へ

シュノンソー城へ
カトリーヌの庭園から眺めたシュノンソー城

ロワールの美しい景色の中にたたずむシュノンソー城は、それぞれの時代に暮らした城主の思いが各所に詰まっています。城の敷地内を散策しながら、フランスとシュノンソー城が歩んできた歴史の息吹を感じてみてください。

※本記事の観光関連情報は2020年3月30日現在のものです。
※フランスのお城に関しては、こちらもご参照ください。
https://jp.france.fr/ja/val-de-loire/list/loire-deconfinement-202006

≫≫≫ フランス旅行に役立つ記事一覧

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2020年6月8日現在、フランスへの日本からの観光目的の渡航はできません。渡航についての最新情報、情報の詳細は下記などを参考に必ず各自でご確認ください。
◎外務省海外安全ホームページ
・URL:  https://www.anzen.mofa.go.jp/index.html
◎厚生労働省:新型コロナウイルス感染症について
・URL: https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000164708_00001.html

筆者

フランス特派員

守隨 亨延

パリ在住ジャーナリスト(フランス外務省発行記者証所持)。渡航経験は欧州を中心に約60カ国800都市です。

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