実は遺跡の宝庫! フランス・ニームに「ローマ文化博物館」が誕生

公開日 : 2018年06月23日
最終更新 :
筆者 : 冠 ゆき
ローマ文化が残したもの ©Stéphane Ramillon - Ville de Nîmes
ローマ文化が残したもの ©Stéphane Ramillon - Ville de Nîmes

フランス南部ニームの町に、2018年6月2日(土)、「ローマ文化博物館(Musée de la Romanité)」が誕生しました。フランス・ニームは、小さいながらも古代ローマ時代よりも前から続く由緒ある町です。現在のニームには、古代ローマ時代の橋や神殿、円形劇場などの遺跡が点在しており、「フランスのローマ」とも呼ばれています。そんなニームの町にできた「ローマ文化博物館」を紹介します。

古代と現代を結ぶ博物館

古代と現代を結ぶ博物館
ニームに誕生したローマ文化博物館 ©Stéphane Ramillon - Ville de Nîmes

円形競技場のすぐ横に建てられたこの新しい「ローマ文化博物館(Musée de la Romanité)」は、ニームの町の歴史散歩の入り口ともなりうるものです。 透明な一階の中央には、背後の緑あふれる考古学公園へと続く通りが貫くように走っています。

斜め向かいに建つ円形競技場と対比させて、軽くシンプルにと作られたファサード(正面)は、7,000もの四角いガラスで覆われています。このガラスはモザイクを思い起こさせ、またドレープを描くようなラインは、古代ローマの着衣トーガを思い起こさせます。

設計したのは、建築家エリザベット・ド・ポルザンパール(Elizabeth de Portzamparc)。 建築だけでなく社会学、人類学、都市工学も専攻した彼女は、単なる考古学博物館や美術館にとどまらぬ、ニームの町の歴史につながる入り口としてのミュージアムを作りあげました。3,500平方メートルの展示空間には、5,000点もの所蔵品が並びます。

建物の屋上は、植物園かと見紛うテラスになっていて、ニームの町全体と、円形競技場などの遺跡が望める格好の展望台となっています。また、館内には、ミシュラン2つ星シェフ、フランク・ピュトゥラのレストランと、カフェも併設されています。

「フランスのローマ」

「フランスのローマ」
ローマ文化博物館から見える円形競技場 ©Stéphane Ramillon - Ville de Nîmes

ニームに「ローマ文化博物館」が作られたのには、もちろん理由があります。 古代ローマの植民地だったニームには、今も円形競技場、アウグストゥス門、マーニュ塔、神殿など、当時のモニュメントが残っています。これは、ニームが「フランスのローマ」と呼ばれる所以でもあります。

多くの遺跡を有するニームは、「現代に残る古代」というテーマで、ユネスコの世界遺産に名乗りを挙げています。ちなみに、結果は2018年7月にわかることになっています。

古代ローマ以前のニーム

古代ローマ以前のニーム
石灰石による男性の上半身像 、鉄器時代 ©Stéphane Ramillon - Ville de Nîmes

今も古代ローマ文化が色濃く残るニームですが、その歴史は2,500年と、古代ローマ時代よりずっと以前まで遡ることができます。

「ローマ文化博物館」では、この長いニームの歴史を、時代別、テーマ別に展示しています。

ニームにあるカヴァリエの丘の南側の斜面に最初の村ができたのは、紀元前6世紀の終わりのことでした。 ここに湧く水に魅かれて、集まってきた人々は、要塞を築き、見張りの塔を建てました。この塔は、後に、現存するマーニュの塔の基盤として使われることになります。

当時としては大きな規模の町だったニームは、東ラングドック地方で最初に硬貨を製造した町でもありました。紀元前2世紀初頭のことです。

「ローマ文化博物館」が選んだ、この時代の主な展示物のなかには、ガリア人の家の再現や、ギリシャ文字を使ったガリア人の石碑がみられます。

ローマ文化時代

ローマ文化時代
ペンテウスのモザイク ©Stéphane Ramillon - Ville de Nîmes

ニームがローマ帝国の植民地となったのは、紀元前44年のことです。当時は、コロニア・アウグスタ・ネマウスス(Colonia Augusta Nemausus)と呼ばれていました。

ローマ文化時代の展示は、円形競技場に向かって開かれた部屋から始まります。今は失われた当時の建築物の規模を実感するために、マルチメディアも駆使され、遥かな歴史を振り返る工夫がされています。

発掘により見つかった絵画やモザイクも展示されています。上の写真の「ペンテウスのモザイク」は、2006年ニームのジャン・ジョレス通りで、地下駐車場の工事中に発見されたものです。表面積35平方メートルの大きなもので、3世紀初めのものと考えられています。中央には、テーバイの王であったペンテウスが、その母アガウェーに殺される場面が描かれており、このことから「ペンテウスのモザイク」と呼ばれるようになりました。

「ペンテウスのモザイク」と同時に発掘された別のモザイクやローマ人の家も、非常に保存状態がよく、専門家は「ポンペイの次に美しい」と形容したそうです。

ポスト・ローマ文化時代:中世

 ポスト・ローマ文化時代:中世
中世の遺跡から柱頭など ©Stéphane Ramillon - Ville de Nîmes

ポスト・ローマ文化時代は、ロマネスク時代とゴシック時代に分けられます。

中世には、ローマ人の築いたモニュメントを活用して教会が複数建てられましたが、その大半は後の宗教戦争で破壊されてしまいました。当時の名残を今も偲べる主な展示物は、彫刻を施された柱頭です。

また、ゴシック時代を代表する展示物のひとつとして、サン・マルタン・デ・ザレンヌ教会の浮き彫りが挙げられます。これは14世紀に造られたものです。

なお、「ローマ文化博物館」では、現在、オープニング特別展として、剣闘士に焦点を当てた「グラディエーター:コロッセオのヒーロー」を開催中。会期は、2018年9月24日(月)までの予定です。

いかがでしたか。フランス・ニームの町にできた「ローマ文化博物館」を紹介しました。古代と現代を結ぶ小さな町ニームで、時空の旅を楽しんでみてはいかがでしょうか。

筆者

フランス特派員

冠 ゆき

1994年より海外生活。これでに訪れた国は約40ヵ国。フランスと世界のあれこれを切り取り日本に紹介しています。

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