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【パリ】フランスの歴史を内包する「コンコルド広場」の歩き方

2020年01月25日

コンコルド広場にあるオベリスクと噴水

パリの真ん中を十字に仕切るコンコルド広場。西のシャンゼリゼ大通りと東のチュイルリー公園を広場と挟んでつなぎ、マドレーヌ教会が立つ北側のロワイヤル通りから南のブルボン宮までセーヌ川を越えながら続き、東西南北の通りを広場で十字に交わらせるパリの要です。パリ観光で一度は通るこの広場には、フランスの歴史と魅力が詰まっています。

コンコルド広場の歴史

左にエッフェル塔とセーヌ川、右にシャンゼリゼ大通り

コンコルド広場は、初めから「コンコルド」という名前が付けられていたわけではありません。広場の名前が現在のように変わるまでには、フランスの激動の歴史が横たわっています。

広場自体は1755年にルイ15世の命によって造られました。設計を担当したのが建築家アンジュ・ジャック・ガブリエルです。当時、広場の中央には彫刻家エドム・ブーシャルドン作のルイ15世騎馬像が飾られ、名前も「ルイ15世広場」でした。同広場の転機になったのが18世紀後半のフランス革命です。この革命によって、広場の名前はルイ15世広場から革命広場に変わりました。

フランス革命で掲げられた「自由、平等、友愛」の標語

フランス革命とは、1789年に始まる市民革命のこと。フランスの絶対王政末期の失政に抗議するかたちで、ブルジョワジーと一部貴族に一般民衆が加わり、運動が広がりました。有名なバスチーユ襲撃から始まって、ブルボン家によって司られてきた王政が崩れていきます。その後、人権宣言の発表や憲法制定が行われ、ルイ15世の孫にあたる当時の国王ルイ16世は処刑されました。その処刑の舞台となったのが、今のコンコルド広場である革命広場でした。

旧100フラン紙幣に描かれたドラクロワ作『民衆を導く自由の女神』

当時の革命広場では、ルイ16世や王妃マリー・アントワネットをはじめ多くの貴族が、広場の中央に設置されたギロチンにかけられ首をはねられました。マリー・アントワネットが、コンコルド広場で首を落とされるまで幽閉されていたのが、セーヌ川の中洲シテ島にあるコンシェルジュリーです。さらにフランス革命で指導的立場だったマクシミリアン・ロベスピーエルも王政打倒後の政権で恐怖政治を敷いて失脚すると、同広場で首を落とされています。

フランスの政治体制が大きく変わったこの動乱期に、革命広場にてギロチンで処刑された人の数は1119人といわれています。その後、広場の名前は現在と同じ「コンコルド(調和)」と呼ばれるようになりますが、時代によっては「ルイ15世広場」や「ルイ16世広場」へ変わったこともありました。そして1830年から再び「コンコルド広場」となっています。

広場南から北方面を望む

現在のコンコルド広場は、シャンゼリゼ大通りとチュイルリー公園の始点として多くの観光客が行き交い、セーヌ川を挟んだ先にはエッフェル塔が望め、広場に面してパラス認定ホテルのオテル・ド・クリヨンがあるなど華やかな雰囲気です。当時の血なまぐささは感じられませんが、コンコルド広場には、そんなフランスの歴史が詰まっています。

パリ観光の起点の場所

シャンゼリゼ大通りの先にコンコルド広場とルーヴル美術館

コンコルド広場は、パリ観光の起点としても便利な場所にあります。誰しも思い浮かべるシャンゼリゼ大通りと凱旋門は、コンコルド広場を起点に西側に伸びています。東側にはチュイルリー公園を挟んで、これまた定番スポットのルーヴル美術館が。チュイルリー公園内には、モネの大作『睡蓮』を所蔵するオランジュリー美術館があります。

チュイルリー公園と並行して走るリヴォリ通りには、ケーキのモンブランで有名なサロン・ド・テのアンジェリーナやパティスリーのセバスチャン・ゴダールなどのスイーツ店が点在。旅行者も多い界隈です。

チュイルリー公園から見たルーヴル美術館

コンコルド広場の北側にもグルメスポットが集積しています。ロワイヤル通り沿いにはパティスリーのラデュレ、その先のマドレーヌ広場には高級食品店フォションやキャビア専門店キャビア・カスピア、マスタード専門店マイユといった店が並びます。さらに北側には百貨店のプランタン・オスマン本店やギャラリー・ラファイエット・パリ・オスマン店があります。

ロワイヤル通りと交差するフォーブル・サントノレ通りには、エルメス本店やシャネル、サンローラン、ジバンシイなど高級服飾ブランドが軒を連ねます。

マドレーヌ教会

広場からセーヌ川を渡って南下すると、現在は国民議会(下院)の議事堂として使われているブルボン宮があります。ブルボン宮からセーヌ川沿いを東へ上ると、印象派作品などを所蔵するオルセー美術館、さらに先に行くとサンジェルマン・デ・プレ地区やノートルダム大聖堂があるシテ島もすぐそこです。一方で、ブルボン宮からセーヌ川を西へ下ると、エッフェル塔が出迎えてくれます。

国民議会が入るブルボン宮とセーヌ川

広場のシンボル「クレオパトラの針」(オベリスク)

広場の中央にそびえるオベリスク

「パリで一番古いモニュメントはどれだと思いますか?」。ツアーガイドさんから、こんな質問をされることがあるかもしれません。ノートルダム大聖堂など、頭の中にはパリのさまざまな有名スポットが駆け巡りますが、答えは「コンコルド広場のオベリスク」です。

オベリスクの北側にはマドレーヌ教会や旧海軍省が建つ

オベリスクは、今こそコンコルド広場のシンボル的存在となっていますが、鎮座の由来はエジプト総督ムハンマド・アリから、当時のフランス国王ルイ・フィリップに贈られたことに端を発しています。元はエジプトのルクソール宮殿にあったオベリスクを切り出しパリまで運び、フランスの考古学者であり建築家のジャック・イニャス・イトルフによって現在のように形が整えられました。

なぜパリのど真ん中に、ヒエログリフ(神聖文字)が描かれた石柱が立っているか。この違和感ある光景には、このような歴史がありました。

オベリスクの南側にはブルボン宮とアンヴァリッドの屋根

オベリスクがコンコルド広場に立てられたのは1836年ですが、オベリスクそのものが建立されたのは紀元前13世紀、ラムセス2世時代の古代都市テーベ(現在のルクソール)です。つまりパリで一番古いモニュメントになります。ルクソール宮殿はエジプトで現存しており、同宮殿にはコンコルド広場のオベリスクと対だったもう1本のオベリスクが、今も残っています。

右側の礎石上にコンコルド広場のオベリスクがあった

コンコルド広場の人気スポット「噴水」

ライトアップされた広場の「川の噴水」 ©iStock

コンコルド広場には「川の噴水」「海の噴水」というふたつの大きな噴水があります。どちらの噴水もフランスの建築家ジャック・イニャス・イトルフによって設計され、当時のセーヌ県知事クロード・フィリベール・ド・ランビュトーにより1840年に落成されたものです。

まず、広場北側に位置するのが「川の噴水」です。この噴水はローヌ川およびライン川が表現されています。ローヌ川とはスイスのローヌ氷河を源としてレマン湖を経由しフランス国内を流れて地中海に注ぐ川です。そしてライン川は、スイス東部のアルプス山中を水源にして仏独国境を流れて、オランダに入り北海に注ぎ込む川です。噴水を飾る像は、ブドウなどフランスで取れる作物を表現し、農業や産業を表しています。

「川の噴水」

広場南側にあるのが「海の噴水」です。この噴水はフランス本土を囲む地中海や大西洋を表現し、噴水の周囲の像はサンゴや魚介、真珠といった海の恵みを表しています。

「海の噴水」

どちらの噴水も中央の像は船の舳先に座っているようなデザインです。船とはパリ市の紋章である「船」のこと。パリ市の標語も「たゆたえども沈まず」です。

各デザインに意味がある

夏季は水が噴出して噴水本来の姿を見られますが、冬季はパリ市内の多くの噴水と同じく、コンコルド広場の両噴水の水は止められます。

コンコルド広場の基本情報

オベリスクの西南にエッフェル塔

地下鉄Concorde(コンコルド)駅を出ると、すぐそこがコンコルド広場です。ルーヴル美術館見学後に、チュイルリー公園内を散歩しながら向かってもいいかもしれません。公園内からはオベリスクとシャンゼリゼ大通り、凱旋門を入れて写真に収められます。

■コンコルド広場 Place de la Concorde
・アクセス: 地下鉄1・8・12号線「Concorde」駅

コンコルド広場へ行こう!

川の噴水とオベリスク

周囲には観光の定番スポットが多く点在し、通り過ぎてしまいがちになるコンコルド広場ですが、歴史がたくさん詰まったスポットです。少しだけ足を止めて、この場所が積み重ねてきた歴史を感じてみてはいかがでしょうか。

PHOTO: iStock

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