2度目のフランスにおすすめ!ちょっとディープなパリの穴場5選

公開日 : 2022年08月15日
最終更新 :

長い年月をかけて歴史が積み重なってきたパリは、住んでいてもなかなかそのすべてを知ることができません。定番観光コースから少し趣向を変えてみたい人におすすめの、知れば知るほどその懐の広さと深淵にはまっていく、パリのディープスポットを筆者目線で5つ選んでみました。

パリの地下迷宮を利用した墓場「カタコンブ・ド・パリ」

パリの地下迷宮を利用した墓場「カタコンブ・ド・パリ」
カタコンブの序盤はかつての採石場の名残を感じさせるトンネルが続く

パリの地下にはガロ・ローマ期(120年〜5世紀末)に採石されていた形跡が残る広大な地下空間が広がっています。そこにパリ市内中心部サン・イノサンの共同墓地などに納められていた600万体の遺骨を1785年から約100年かけて移して形作られたのがカタコンブです。

カタコンブの一般開放が始まったのは1809年。公開されるやいなや人気のスポットとなり、アルトワ伯爵(後のブルボン王朝最後の国王シャルル10世)や、フランツ2世(神聖ローマ帝国最後の皇帝)、1860年にはナポレオン3世なども訪れたそうです。

遺骨と1787年にイノサン墓地から運ばれたことを示す表記
遺骨と1787年にイノサン墓地から運ばれたことを示す表記

カタコンブは地下20m以上の場所にあり、温度は一年を通して14度前後に保たれています。夏に訪れる場合はかなり肌寒く感じるため温度調節できる服が必要です。カタコンブの前半部分は坑道、そして後半はドクロが並ぶ納骨堂になっています。パリの地下には、一般公開されていませんが、このような形の坑道がカタコンブ以外にも多く走っています。

ちなみに遺骨の搬出元であるサン・イノサンの共同墓地は、現在のレ・アール地区にありました。現在は「イノサンの泉」とよばれている噴水があり広場になっています。

イノサンの泉
イノサンの泉

あわせて訪れると、今は見えないパリが見えてきます。

第二次大戦レジスタンスの地下基地に入れる「パリ解放博物館」

第二次大戦レジスタンスの地下基地に入れる「パリ解放博物館」
地下へと下りる階段の鉄扉

カタコンブ・ド・パリを訪れるなら、カタコンブの入口向かい側にあるパリ解放博物館もセットで訪れることをおすすめします。「パリ解放」とは、第二次大戦時、ナチス・ドイツにより占領されたパリが、英米など連合国軍のノルマンディー上陸作戦を転機とした攻勢のなか、パリの地下に潜って活動していたレジスタンスの蜂起によって最終的に解放された戦いのことを指します。

ナチス・ドイツによってパリが陥落したのは1940年6月30日。連合国軍によって、再びパリが解放されるのが1944年8月25日です。ナチス・ドイツが侵攻したあとのフランスは、独仏休戦協定に基づきフランスの北半分をドイツが、南半分はペタンを首相とするヴィシー政府(当初の首都はボルドー、後にヴィシー)が治めていました。ペタンはドイツと協調していくことで、フランスの地位を確保し続けていこうと考えましたが、一方でナチス・ドイツに対して抵抗姿勢をとったのが、海外へ亡命したシャルル・ド・ゴールなど自由フランス軍や、パリなどでのレジスタンスでした。

館内に展示してある防毒マスク
館内に展示してある防毒マスク

レジスタンスがなぜカタコンブと関係があるのかというと、当時レジスタンスの活動拠点となっていたのが、パリの地下を縦横に走っていた坑道でした。パリ解放博物館は、当時の展示とともに、地下に下りるとパリ解放を率いたひとりであるアンリ・タンギーの司令室を見学できます(司令室はガイド付きのグループ見学)。

ちなみにナチス・ドイツ軍がパリでの本部にしたのが現在もパラスホテル(5つ星)として営業しているル・ムーリスでした。すぐ隣にはモンブランで有名なサロン・ド・テ、アンジェリーナもあり、ここでも歴史を感じることができます。

Musée Libération Leclerc Moulin(パリ解放博物館)
住所
4 Avenue du Colonel Henri Rol-Tanguy 75014

パリの地下を網の目のように流れる下水道を見る「下水道博物館」

パリの地下を網の目のように流れる下水道を見る「下水道博物館」
下には実際に汚水が流れている

パリの地下を縦横に走るのはカタコンブやレジスタンスの跡だけではありません。現在もパリ市民の生活を支えている下水道もそのひとつです。そのパリの下水道の様子を実際に見学しながら学べるのが下水道博物館です。

エッフェル塔近くのセーヌ川にかかるアルマ橋の左岸側に博物館の入口があり、受付で入場料を払い階段を下りるとパリの下水道空間に到着します。パリの下水道は全長2600km。ルイ14世やナポレオンも一部を整備しましたが、本格的な敷設は1853年のオスマン・セーヌ県知事による「パリ大改造」からです。

地上の通りの名前が地下にも付けられている
地上の通りの名前が地下にも付けられている

一部の汚物を取り除く設備や、詰まった下水道を直すための設備、下水が流れる水量を調節する弁などが展示されており、実際に稼働しています。そして、この博物館のよさであり大変なところは、実際に下水が流れる地下を博物館として使っているため、臭いと湿度と蚊が見学者を襲ってくるところ。ヴィクトル・ユゴーの小説『レ・ミゼラブル』でジャン・バルジャンがマリウスを担いで下水道を逃げる場面がありますが、その時に感じたであろうことを少し体験できます。

一方で、このような設備があるお陰で私たちが衛生的な生活を送っていけることをも知ることができるので、社会科見学好きの人にはおすすめのスポットです。

パリ中心部にたたずむ元教会跡「サンジャックの塔」

パリ中心部にたたずむ元教会跡「サンジャックの塔」
ニコラ・フラメル通りから見たサン・ジャックの塔

パリ中心部シャトレにある公園の中央に1本だけすっと天に向かって伸びている塔があります。サン・ジャックの塔です。なぜこんな公園の真ん中に塔が立っているのか不思議に思った人もいるかもしれません。じつはこの塔は上ることができます。

サン・ジャックの塔は、元はサン・ジャック・ド・ラ・ブッシュリーという名前の教会に付属した塔でした。「ブッシュリー」とはフランス語で精肉店のこと。つまり精肉店の人たちが建てた教会でした。また「サン・ジャック」とはフランス語でホタテのこと。ホタテはスペイン北部にあるサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼者の印です。サン・ジャック・ド・ラ・ブッシュリー教会は、パリからサンティアゴ・デ・コンポステーラへ向かう際の出発点でした。フランスの科学者パスカルがこの塔で大気圧の実験をしたとも伝えられています。

塔の真下にあるパスカルの像
塔の真下にあるパスカルの像

ところが、フランス革命時に教会は壊されてしまい、現在のように塔だけ残りました。

サン・ジャックの塔が少し特殊なのは、見学がガイドツアーのみに限られ、ツアーは1週間のうち金〜日曜の週末しか開いていないということ。好きな時間にふらっと来て上れる塔ではありません。しかしガイドツアーに参加し上ると、そこには素晴らしい景色が待っています。

ガイドツアーでは3段階に分けて上ります。最初の階は、かつて塔を飾っていた彫刻などが置かれたフロア、その次が気象観測所として使っていたフロアです。各階ではツアーガイドがこの塔にまつわる歴史を順に説明してくれます。

フロアに置かれた装飾彫刻
フロアに置かれた装飾彫刻
観測所のフロア
観測所のフロア

そして地上から約300段を上りきると屋上です。

屋上から見たパリの町並みとエッフェル塔
屋上から見たパリの町並みとエッフェル塔

屋上は地上52mとそれほど高いわけではないのですが、建物の高さが制限されているパリでは、ちょうどいい高さ。歴史的建造物が立ち並ぶパリの町が、渡り鳥になったような目線の高さで360度見渡せます。エッフェル塔やモンパルナスタワーなどとはまた違った、パリの景色を楽しむことができます。

Tour Saint-Jacques(サン・ジャックの塔)|
住所|Square de la Tour Saint-Jacques 75004
URL|https://boutique.toursaintjacques.fr

かつて存在したパリ環状線の廃線跡「プティト・サンチュール」

かつて存在したパリ環状線の廃線跡「プティト・サンチュール」
パリ市内南部にあるモンスーリ公園近くの廃線

現在はパリを囲むようにトラムの路線が敷かれていますが、1世紀以上前に、プティト・サンチュールという名前のトラムとは別の環状鉄道がパリの周囲を走っていました。1852年から1869年の間に敷設され、1934年まで旅客列車が走っていましたが、1934年に営業を終了。一部の路線はその後、貨物列車の線路として流用されたり、RER C 線の一部として現在も使われている区間があったりするものの、大部分が廃線になり放置されています。その廃線跡が、現在はパリの流行のスポットになっています。

アザール・リュディックにある廃線のホームを利用したテラス席
アザール・リュディックにある廃線のホームを利用したテラス席

一部の旧駅舎がカフェやレストランに転用されたり、旧駅舎から下りた先をテラス席や、農園、市民の憩いのスペースにしたりしている区間もあります。いまだに線路もそのまま残っており、線路上を歩いていると、慣れたパリも違う景色に見えてきます。

見学スポットはいくつかありますが、パリの右岸だと18区にある旧アヴニュー・オマノ駅をバーに転用した「アザール・リュディック」は、建物内を通り抜けると線路へ出られます。一方で左岸だと14区、地下鉄4号線ポルト・ドルレアン駅から徒歩すぐのところにあるレストラン「ポワンソン」は旧モンルージュ駅です。ここもプティト・サンチュールの線路の様子を見学できます。

プティト・サンチュールの廃線をたどりながらパリを一周しても楽しいかもしれませんね。

Hasard Ludique(アザール・リュディック)
住所
128 avenue de Saint-Ouen 75018
Poinçon(ポワンソン)
住所
124 avenue du Général Leclerc 75014

旅のバイブル「地球の歩き方」ガイドブック

旅のバイブル「地球の歩き方」ガイドブック
『地球の歩き方 ガイドブック A07 パリ&近郊の町 2021年~2022年版』

2021~22年度版では、パリの最旬トピックスや、賢くお得に旅するためのモデルプラン、ますます進化中のパンなどを大特集! エリア別ガイドでは、観光名所だけでなく治安情報やフォトジェニックスポットもわかりやすくご紹介。ヴェルサイユやモン・サン・ミッシェルなど郊外への旅はページを増やしてさらに詳しく!

『地球の歩き方 ガイドブック A07 パリ&近郊の町 2021年~2022年版』
■URL: https://hon.gakken.jp/book/2080127200

※当記事は、2022年8月15日現在のものです。

〈地球の歩き方編集室よりお願い〉
2022年8月15日現在、国によってはいまだ観光目的の渡航が難しい状況です。『地球の歩き方 ニュース&レポート』では、近い将来に旅したい場所として世界の観光記事を発信しています。渡航についての最新情報は下記などを参考に必ず各自でご確認ください。
◎外務省海外安全ホームページ
・URL: https://www.anzen.mofa.go.jp/index.html
◎厚生労働省:新型コロナウイルス感染症について
・URL: https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000164708_00001.html
旅したい場所の情報を入手して準備をととのえ、新型コロナウイルス収束後はぜひお出かけください。安心して旅に出られる日が一日も早く来ることを心より願っています。

筆者

フランス特派員

守隨 亨延

パリ在住ジャーナリスト(フランス外務省発行記者証所持)。渡航経験は欧州を中心に約60カ国800都市です。

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